1936年
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福岡県北九州市小倉区に生まれる。
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1953年
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小倉高校より国立音楽大学付属高校作曲科へ転校。
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1955年
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国立音楽大学作曲学科入学。中村太郎氏に師事。大学在学中に「女声合唱曲集」(1956年芸術文化社)が初出版された。在学中に結成した創作歌劇集団『まるめろ座』において、オペラ「セイとスガマ」「香月の歌姫」「新松山鏡jの三作を書き、上演さ れた。その他、歌曲多数、ピアノ曲・合唱曲なども多く書いた。
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1959年
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国立音楽大学作曲学科卒業。卒業作品「弦楽四重奏曲」
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1960年
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同専攻科修了 専攻科修了作品「立原道造による四っの歌曲」(溝上日出夫歌曲集に一部収載)「ピアノソナチネ」〈1988年創芸書房刊)など。
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1960年
〜66年
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TV・ラジオ・レコードなどで活躍。NHK「うたのえほんjの、作曲を担当した際に[やくそく」「ママとかけっこ」など、こどもの歌が多数が誕生した。後に、子供のための歌曲集「いちょうのはっぱ」(1965年のばら社刊)としてまとめられた。その他多くのテレビ・ラジオ番組の作曲、出演を経験した(スター千一夜、地上最大のクイズなど)が、とくに10年間以上続いた「ラジオ音楽教室」での出演・構成は、音楽教育分野への関心を深めた。又、とくに再放送を繰り返したTVドラマに「柔道一直線」などの番組がある。
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1965年
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初の海外旅行でフランク・マルタンなどに出会い刺激を受けた。とくに音楽教育に関してはその重要性を感じ、子供の音楽教育に関する著書を後に多く著した。『新しい幼児の音楽教育』〈1968年全音楽譜刊)『即興演奏の基礎練習』(1970年全音楽譜刊1998年増補改訂)『保育音楽』(1976年全音楽譜刊)『保育に生かすビアノレッスン』(1978年フレーベル館刊〉『楽しいソルフェージュ』全五巻(1980 創芸書房刊)などがある。
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1966年
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『まるめろ座』創立10周年記念公演として、オペラ「あにま・めろでいえ」を発表。初のミュージカル風オペラとの評を受けた。
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1967年
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「詩と音楽の会」に初参加して「みずいろの花」を発表、以後、毎年新作を発表した。
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1969年
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朝日新開社・全日本合唱連盟の募集した愛唱合唱曲に、「もしもしこんにちは」が 入選。合唱分野にも数多くの作品があり、児童合唱『ばくら太陽の子供たち』(1974年全音楽譜刊)『けものたちのうた』(1976年全音楽譜刊)『見なれた風景』(1989年全音楽譜刊)女声合唱『古寺慕情』(1981年全音楽譜刊)『花の香を追って』(1985年全音楽譜刊)男声合唱組曲『青春彷徨』(1981 創芸書房刊)
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1971年
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歌曲作品を網羅した『溝上日出夫歌曲集』が全音楽譜出版社により出版され、同時 に歌曲作品演奏会(都市センターホール)も行われた。なお、『溝上日出夫歌曲集』は1987年に「改定版」となり一部初版時と内容の入れ替えが行われ、1996年CD作製とともに「増補改訂版」となり新作品が加えられた。声楽家を中心としたグループから委嘱され た歌曲集は「子守歌のばらあど」〈1969年四季の会)[遣言歌」〈1970年瑠璃の会)[快山詩集より」(1974年瑠璃の会)「組曲窯の詩」(1985年三人の会)「火の祭」(1988年三人の会)などで、自ら書いたもの、個人からの委嘱も加えるとさらに多数となる。
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1974年
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ピアノ連弾のための『絵のない絵本第一組曲』(1974年全音楽譜刊)を児玉幸子・ 邦夫デュオの為に書く。その後、同デュオの委嘱で数多くの連弾曲を手掛ることになる。『野の歌氈E・。』1975年初演(1997年全音楽譜刊)『サイクロラーマ』〜ピアノ連弾と弦楽合奏と打楽器群による〜〈1984年)『絵のない絵本第二組曲』(1987年)『ピアノ連弾と三人の打楽器奏者による呼応』〜デュオ結成25周年記念コンサートのために〜1988年初演(1996全音楽譜刊)これらの曲はこのデュオによって世界中で機会あるごとに、演奏された。
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1979年
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カンタータ『函館幻想』に約半年を費やして書き上げる。演奏時間約70分、初演函 館市民文化館大ホール、指揮小林研一郎と東京交響楽団・函館市民合唱団・函館少年少 女合唱団・Sop.Bar.solo(編成が大きいにもかかわらず3回再演されている)
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1985年
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オルガン曲『雲中供養菩薩「楽」』〈1986年創去書房刊)ドイツで演奏され神秘的な魅カを秘めた音楽との新聞評を得る。数少ないオルガン曲であるが外国での演奏回数が多く、教会内のオルガンで演奏されたこともあり、不思議な取合わせになるそうである。仏教色の強いこの題名ゆえに演奏不許可になった例もある。その後二曲で演奏するために1993年にドイツ人オルガニスト ヨアヒム・ドルフミユラーによってミュンスターで初演された『雪中供養菩薩「舞」』を書いた。
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1989年
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3月、中国・北京音楽庁において「溝上日出夫歌曲の会」が行われた。
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1989年
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7月、イタリア・カリアリにおいて歌曲・ピアノ曲による作品展が行われ、後、ペルージャ現代音楽祭にピアノソナタ(1989年音楽之友社刊)が参加し、イタリア人ピアニスト、マリオ・パトウツィにより演奏された。
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1991年
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6月、ピョンヤンを訪問、同音楽舞踊大学において多くの歌曲が演奏された。
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